徒然草

  • 2015.06.23 Tuesday
  • 09:41
徒然草 <古文> 人としては、善に伐(ほこ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎あり。慎みて、これを忘るべし。痴にも見え、人にも言ひ消たれ、禍をも招くは、ただ、この慢心なり。 一道にまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終に、物に伐る事なし。     <口語訳> 人は、自分の長所・美点を誇らず、他の人と争わないことを徳とする。他の人より優れていることがあるのは、大きな損失である。身分や家柄の高さでも、才能があり芸事に優れているのも、先祖の名誉でも、人より自分が勝っていると思っている人は、たとえ口に出さなくても、心の中に多くの罪・過ちがある。自分の長所・自慢など慎んで忘れたほうがいい。人から愚かに見られ、悪く言われて、災禍を招く原因はこの慢心なのである。 本当の意味でのその道の名人は、自分自身で自分の欠点をはっきりと知っているが故に、自分の向上心がいつも満たされることがない。だから、他人に自分の自慢をすることもないのだ。

武道の精神

  • 2015.02.20 Friday
  • 20:31
力なき正義は無力なり、正義なき力は暴力なり。

大和魂とは

  • 2014.04.23 Wednesday
  • 21:12
「かくすれば かくなるものと知りつつも やむにやまれぬ 大和魂」(吉田松陰)

「えらそう」に見える人

  • 2014.04.22 Tuesday
  • 09:06
無意味にえらそうにしている人間がそこここに目に付いたら、その組織は「末期的」であると判じて過つことがない。「えらそう」に見えるのは、外部評価と自己評価の差が大きいせいである。 「自分の能力は過小評価されているのではないか」という不安をもつ人間は、自分への敬意を喚起するために「わずかによけいな身ぶり」をする。 「えらそう」というのはその「わずかによけいな身ぶり」のことである。 いちばんわかりやすいのは「アイコンタクトの遅れ」である。 こちらが声をかけても書類から顔を上げない、隣の席の人間とのおしゃべりを止めない。 こちらが質問すると、答えることよりも「私はそういう質問をされることをすでに予見していた」ことを誇示することを優先する人間(彼らは答える前に、「だから」という鬱陶しげな一言から始めることが多い)。 そういう人間が一定数いたら、そういう組織はもう長いことはない。

日本の文化

  • 2014.04.20 Sunday
  • 10:09
日本の文化の原点は細部にこだわり、それを極めること。細部にこだわることをしなくなったら日本の文化は失われ 日本の製品は価値が無くなる。

好きな格言

  • 2014.04.17 Thursday
  • 19:41
好きな言葉を書くカテゴリーを追加しました。 小人とて嫌わず、大人とても信順せず、淡々と交わり自尊独立して。                                                          妙連

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